Curry or Programming bot

カレーとその他のブログです

現在の状況と,科学と宗教のポエム

くそ読みづらいポエムを読んでいただきありがとうございます.

現状を述べたのち,また宗教についてポエムを書きます.

現状

ただひたすらに辛いという状況からは脱しました.

そして何かすがるものへの執着心もだいぶなくなりました.

今後の人生をうまくやるために動いていこうと思います.

宗教をキメる人間に対して思うこと

今一度,「なぜその宗教が正しいと思ったのか」思い返してほしい.

その宗教を信じる人間が誠実だからか?

自分が,「神が存在する!」と思うような経験をしたからか?

いくつかの過去の出来事が,その宗教が正しいことを表しているからか?

どんな理由であっても,信頼するには不十分だ.

なぜなら,宗教は確信を求めるからだ.

100%正しいと思うことを求めてくるからだ.

そんなものはこの世にあると思いますか?*1

……それでも,正しいものはあると思う人は,再度自分がなぜその宗教を信じるようになったのか思い出してほしい.

その経験は,自分の思い込みではなくて本当に正しい経験なのか.

環境が異なっても同じように思うのか.

自分の頭の中で実験してほしい.

疑うことは悪くない.疑いに打ち勝つ正しさこそが重要だからだ.

実験の末,それでも正しいと思うなら,私から言うことは何もない.

宗教をキメようと思う人に思うこと

やめたほうがいい.この世に神秘は存在しない.

自分を含めた数少ない人だけに分かる真理,のようなものはない.

たしかに科学や工学が確実に正しいわけではない.

だからといって宗教が正しいということにはならない.

どちらかというと科学を信じるほうがましだろう.

自分の属していた宗教について思うこと

今思い返すと色々とヤバい宗教だった.

「信者同士でしか仲良くしないようにする&信者になった人が宗教をやめるときには信者全員が縁を断つ」という,一度信者のコミュニティに依存したら一生出られない構造はおかしいと思う.

それと教義が科学的ではないので,教義を幼い子供に教えるのは科学教育に影響がある*2だろう.

あと体罰を推奨するのはダメ,絶対*3

僕の周りの信者は基本まともな人しかいなかった.

しかし信者がまともだからといって教義がまともとは限らない,ということだ.

いわゆる宗教2世に対して思うこと

お疲れ様です。僕と同じ境遇かは分かりませんが、お疲れ様です。

僕の場合は、「なんかこの宗教は間違って感じるけど、本能はこの宗教があってると感じている」状態で、苦労しました。

宗教の世界観から抜けきれない場合、自分の生き方が間違っている!と感じてしまうので辛いんですよね。

はじめからこの宗教がおかしいと感じていた人も、家庭や周りの信者から逆風を感じる人生だったと思うので、お疲れ様です。

なんとか人生をやっていきましょう。

さいごに

こういう境遇の人間もいるということを知って欲しかったので,書きました.

それにこれを墓場まで持っていくのもしんどいので.

おしまい.遊びてー

*1:科学的なものは確実に正しいと思えるかもしれない,しかしそれも公理の正しさを信じるが故に正しいのだ.ある種科学も宗教に似ているが,相違点は疑うことを許すかどうかと,公理や定理が誤まっていたときのロバスト性だろう.

*2:自分の場合あった.クソ

*3:最近はトーンを落としているらしいが自分の場合あった.これもクソ

休学と人生についてのポエム

TL; DR

宗教はクソ

今の状態はここ→ 現在の状況と,科学と宗教のポエム - Curry or Programming bot

本文

真理は存在せず、今ここにある世界が存在する。

休学した理由について話すために、まずは「真理」について話させてほしい。


かつて私は、真理なるものが存在すると信じていた。

真理とは、人類、宇宙、すべての答えを表すなにかであり、人生の目的を示唆してくれるものである。


生まれたときに、私には真理が与えられた。

その真理とはこうだ。

「この世界にはただ一人神が存在する。神に従って生きるのが人間にとって最善の生である。」

事実それは正しいように思われた。

私の周りの人はみなその真理に従って生きており、みな幸せそうだったからだ。

幼かった私は、その真理を信じた。


小学生になり、近所の小学生と接触するようになった時、不思議な体験をした。

彼らは真理を信じてはいなかった。

私はなぜ彼らが真理を信じないのか分からなかった。

周りの人は、それは真理を正しく伝えられていないからだと言った。

また悪魔が人々に真理を分からなくさせているとも言っていた。

私は悪魔の存在を信じ、悪魔を恐れた。

また真理をうまく伝えられるようになろうと決意した。


中学生になり、私は現実に興味を持たなくなった。

神がこの世の中を滅ぼすとあり、この世の中にあるものは全てなくなってしまうからだ。

その時が来れば、金も地位も名誉も、すべてが無くなり、忘れ去られてしまう。

そしてその時が近いと、周りの人々は警告していた。

したがって、現実を無価値なものと思い、興味を持たなくなった。


高校生になり、私は他人に興味を持たなくなった。

他人と親しくしてはいけなかったし、他人と親しくはなれなかった。

周りの人々は、他人は悪魔の影響下にあり、親しくすると自分も悪魔の影響を受けると警告した。

しかし私は他人と親しくなりたかった。だが出来なかった。真理が邪魔をしたのだ。

私にとって一番重要なのが真理だった。ゆえに親しい人には私の真理を伝えることにした。

しかし真理を伝えると、他人は私を気が狂っていると判断したのだ。

ゆえに私は他人と親しくすることを諦めた。


大学生になり、私は焦っていた。信仰を確立することが出来なかったからだ。

私は素朴な信仰を持っていた。子供の時の体験に基づく信仰だ。

私にとって、真理は正しく見えた。しかしそれは私特有の経験に基づくものであって、他者と共通の基盤にできるものではなかった。

真理に従うにはそれを全ての人に広めなければならなかった。

しかし私は他者を納得させることが出来るだけの理由を持ち合わせてはいなかった。

ゆえに研究をし、聖典を調べた。また、真理に影響を与える部分では歴史を紐解いた。

信者が書いたものでない資料は大抵、真理は嘘であると言っていた。しかしこのような反応は慣れっこだった。

「周りの人は悪魔の影響下にあるのだから、周りの人の主張には正しいところはあれども、間違っている部分があるに違いない」

こう判断するのが我々にとって一般的だった。

だがしかし、真理を信じるには非常にたくさんの事実を「悪魔の影響によってゆがんだ認識を人間が持っている」ことにしたり、

神の万能性によって解決する必要があることが分かった。


それでも私は、ある種すがるように真理を信じていた。

私の真理は諸刃の剣だった。

「神に従って生きるのが人間の最善の生である。(そしてほかの生き方は全て無価値な最悪の生である)」

真理を信じない生は、我々にとって無価値な生き方なのだ。

だからこそ、我々は真理を信じようとし、真理に従って生きようとするのだ。

それゆえに、研究をし、その結果が悪かったとしても、私は真理を信じようとしたのだ。


転機は突然現れた。

一冊の漫画と、一つの授業が、私の素朴な信仰を拭い去ったのだ。

幼かったころの私の実感、「自分を含む周りの人はみな幸福で、神を信じる生き方が最善である。」という実感が、実は誤りだったということが突如として分かったのだ。

私の実体験を、世間一般の目線で見てみたら、幼いころの経験は到底ひどいものであることが分かったのだ。

それによって素朴な信仰が消え、私の真理は失われた。


物語だったら「『まとも』になって良かったね」でおしまいと行きたいところだが、現実ではそうはいかなかった。

真理とともに多くのものが失われたのだ。

信者同士の連帯感、神という名の仮想友人、生存の目的。

幸せだった過去の記憶、漠然とした将来への期待感、等々。

全てを埋め合わせることは、死ぬまでできないだろう。


今までも、真理に沿って生きるために精神的に無理をやってきていたのだが、喪失感と悲壮感が加わり、がたが出てきたしまった。

今はなんとか生存をしている状態だ。学業より生存を優先して、休学したというわけだ。


この喪失感から脱出するためには何が必要なのか、考えた。

真理が失われて辛いのだから、新たな真理を得れば良いのだと。

それから、新しい真理を得るために、いろいろ考えを巡らした。

その結果、自分の望んだ「真理」というものは決して得られないと悟った。


私の周りの人はみな真理を確信していた。確信に至る「体験」によって。

大抵の場合、祈りが聞かれたと確信した時、神の存在を確信していた。

自分の経験によって真理を確信するに至っていた。

私は自分を信用していないので、自分の経験を信用できなかった。

自分の認知力を疑っていたので、自分の経験を疑った。

だからこそ、「体験」より確実なもので真理を得たかったのだ。

しかしそれは不可能なものだった。

全てのものは自分にとって、自分の体験なのだ。

どのような手段で知識を得るとしても、その正誤を判断するのは自分なのだ。

故に、自分が思う真理の確かさは、自分の知識によって制限されることになるのだ。

それがたとえ"神"から与えられた知識であってもだ。

故に自分が全幅の信頼を置けるような真理は存在しない。

あるのは灰色の現実と、それを望まない自分だった。


結果としてありもしない真理と、真理がもたらす安息への執着心だけが残った。

得られぬものへの渇望、これほど空しいものはない。

一度現世への欲を捨てた人間が、現世を生きねばならぬとは、皮肉なものだ。

いや、むしろ欲を捨てられなかったから、このようになったのか?

何もわからない。

とりあえず、やすむことにする。


その後→ 現在の状況と,科学と宗教のポエム - Curry or Programming bot

二分音符対旋律の要点

断り

これは自分が二声二分音符対旋律を作るときのメモ書きです.正しいor有用かは分かりません.

二分音符対旋律とは

全音符からなる旋律に対して,二分音符で合わせる旋律のこと.

冒頭,結尾の形式

冒頭

開始タイミング

二部休符の後に始まる.つまり裏拍から旋律が開始される.

開始の音

8度(主音)あるいは5度(属音)で始まる.1度で始めることもできる.

結尾

導音(7度)を経由して,8度あるいは1度の全音符で終わる.

下声に旋律がある場合,属音を経由して終わるのも可能.

強拍,弱拍の形式

強拍

その小節における和音構成音でなければならない.

各和音は,基本形又は第一展開系であるとされるので,

基本形に属する音程(8,3,5度)又は

第一展開系に属する音程(8,3,6度)

でなければならない.

弱拍

弱拍は,経過音,刺繍音,ないし和音構成音で作られる.

旋律を作る際の禁則等

注意

教科書(池内 友次郎,二声対位法)に書いてある全部は上げてません.自分に必要な奴だけです.

生硬な旋律を避ける

教科書では,避けるべきものとして「生硬な(旋律)」というワードがよく出てくる.禁則はそれらを避けるためにあるらしい.

旋律動向と和声動向

旋律は,一つの旋律を時間方向で眺めたときの話.

和声は,同一時間にある複数の旋律からなる和音の話(周波数方向で見る).

旋律動向

短2度

基本的に定旋律(全音の旋律)に短2度で触れる旋律はダメである.短2度は確かに汚い感じがするが,二分音符ではその響きが残るからダメらしい.

おんなじことをあんまりするな

和音構成音を多用するな.

同方向へ跳躍進行するな.

同型反復するな.

刺繍音で同一音を旋回するな.

8度跳躍を連続するな.

和声動向

おんなじことをあんまりするな

3度6度の音程が響きが良いけど使いすぎないようにする(4回連続はやめようとのこと).

5度8度を強拍で連続するな.

直行(旋律が同じ方向へ動くこと)における禁則

直行で5度8度をもってくるな.

弱拍においても直行なら5度8度を連続させるな.

作ってみて思うこと

5度8度と3度6度の雰囲気の違い

5度8度は音が濁らない.特に8度の場合.

これは定旋律が低い(C1とかそれより下ぐらい)場所にあるとき,濁ると嫌な感じがするのでそれを消すのに役に立つ.

逆をいうと5度8度は和声みが少なく,旋律がいい感じに混じり合ってる感がない.

旋律間の音程の距離の話

バスとソプラノの旋律の場合,音域が離れているので,濁りとか和声みとかを考える必要があまりない(と今は思っている).

バスとテノールとか,近い音域の場合は和声っぽくなるのでより気にする必要がある.

終わりに.

まだまだこれからやなあという気持ち