とある宗教2世の半生と休学について

真理は存在せず、今ここにある世界が存在する。


休学した理由について話すために、まずは「真理」について話させてほしい。


かつて私は、真理なるものが存在すると信じていた。

真理とは、人類、宇宙、すべての答えを表すなにかであり、人生の目的を示唆してくれるものである。


生まれたときに、私には真理が与えられた。

その真理とはこうだ。

「この世界にはただ一人神が存在する。神に従って生きるのが人間にとって最善の生である。」

事実それは正しいように思われた。

私の周りの人はみなその真理に従って生きており、みな幸せそうだったからだ。

幼かった私は、その真理を信じた。


小学生になり、近所の小学生と接触するようになった時、不思議な体験をした。

彼らは真理を信じてはいなかった。

私はなぜ彼らが真理を信じないのか分からなかった。

周りの人は、それは真理を正しく伝えられていないからだと言った。

また悪魔が人々に真理を分からなくさせているとも言っていた。

私は悪魔の存在を信じ、悪魔を恐れた。

また真理をうまく伝えられるようになろうと決意した。


中学生になり、私は現実に興味を持たなくなった。

神がこの世の中を滅ぼすとあり、この世の中にあるものは全てなくなってしまうからだ。

その時が来れば、金も地位も名誉も、すべてが無くなり、忘れ去られてしまう。

そしてその時が近いと、周りの人々は警告していた。

したがって、現実を無価値なものと思い、興味を持たなくなった。


高校生になり、私は他人に興味を持たなくなった。

他人と親しくしてはいけなかったし、他人と親しくはなれなかった。

周りの人々は、他人は悪魔の影響下にあり、親しくすると自分も悪魔の影響を受けると警告した。

しかし私は他人と親しくなりたかった。だが出来なかった。真理が邪魔をしたのだ。

私にとって一番重要なのが真理だった。ゆえに親しい人には私の真理を伝えることにした。

しかし真理を伝えると、他人は私を気が狂っていると判断したのだ。

ゆえに私は他人と親しくすることを諦めた。


大学生になり、私は焦っていた。信仰を確立することが出来なかったからだ。

私は素朴な信仰を持っていた。子供の時の体験に基づく信仰だ。

私にとって、真理は正しく見えた。しかしそれは私特有の経験に基づくものであって、他者と共通の基盤にできるものではなかった。

真理に従うにはそれを全ての人に広めなければならなかった。

しかし私は他者を納得させることが出来るだけの理由を持ち合わせてはいなかった。

ゆえに研究をし、聖典を調べた。また、真理に影響を与える部分では歴史を紐解いた。

信者が書いたものでない資料は大抵、真理は嘘であると言っていた。しかしこのような反応は慣れっこだった。

「周りの人は悪魔の影響下にあるのだから、周りの人の主張には正しいところはあれども、間違っている部分があるに違いない」

こう判断するのが我々にとって一般的だった。

だがしかし、真理を信じるには非常にたくさんの事実を「悪魔の影響によってゆがんだ認識を人間が持っている」ことにしたり

神の万能性によって解決する必要があることが分かった。


それでも私は、ある種すがるように真理を信じていた。

私の真理は諸刃の剣だった。

「神に従って生きるのが人間の最善の生である。(そしてほかの生き方は全て無価値な最悪の生である)」

真理を信じない生は、我々にとって無価値な生き方なのだ。

だからこそ、我々は真理を信じようとし、真理に従って生きようとするのだ。

それゆえに、研究をし、その結果が悪かったとしても、私は真理を信じようとしたのだ。


転機は突然現れた。

一冊の漫画と、一つの授業が、私の素朴な信仰を拭い去ったのだ。

幼かったころの私の実感、「自分を含む周りの人はみな幸福で、神を信じる生き方が最善である。」という実感が、実は誤りだったということが突如として分かったのだ。

私の実体験を、世間一般の目線で見てみたら、幼いころの経験は到底ひどいものであることが分かったのだ。

それによって素朴な信仰が消え、私の真理は失われた。


物語だったら「『まとも』になって良かったね」でおしまいと行きたいところだが、現実ではそうはいかなかった。

真理とともに多くのものが失われたのだ。

信者同士の連帯感、神という名の仮想友人、生存の目的。

幸せだった過去の記憶、漠然とした将来への期待感、等々。

全てを埋め合わせることは、死ぬまでできないだろう。


今までも、真理に沿って生きるために精神的に無理をやってきていたのだが、喪失感と悲壮感が加わり、がたが出てきたしまった。

今はなんとか生存をしている状態だ。学業より生存を優先して、休学したというわけだ。


この喪失感から脱出するためには何が必要なのか、考えた。

真理が失われて辛いのだから、新たな真理を得れば良いのだと。

それから、新しい真理を得るために、いろいろ考えを巡らした。

その結果、自分の望んだ「真理」というものは決して得られないと悟った。


私の周りの人はみな真理を確信していた。確信に至る「体験」によって。

大抵の場合、祈りが聞かれたと確信した時、神の存在を確信していた。

自分の経験によって真理を確信するに至っていた。

私は自分を信用していないので、自分の経験を信用できなかった。

自分の認知力を疑っていたので、自分の経験を疑った。

だからこそ、「体験」より確実なもので真理を得たかったのだ。

しかしそれは不可能なものだった。

全てのものは自分にとって、自分の体験なのだ。

どのような手段で知識を得るとしても、その正誤を判断するのは自分なのだ。

故に、自分が思う真理の確かさは、自分の知識によって制限されることになるのだ。

それがたとえ"神"から与えられた知識であってもだ。

故に自分が全幅の信頼を置けるような真理は存在しない。

あるのは灰色の現実と、それを望まない自分だった。


結果としてありもしない真理と、真理がもたらす安息への執着心だけが残った。

得られぬものへの渇望、これほど空しいものはない。

一度現世への欲を捨てた人間が、現世を生きねばならぬとは。

いや、むしろ欲を捨てられなかったから、このようになったのか?

何もわからない。

とりあえず、やすむことにする。


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