「ビデオゲームの美学」を読んで

ゲームには1つの統語論と2つの意味論があるらしい.それについて軽く説明した後この本を読んだ感想を述べる.

統語論

統語論とは何か.プログラミングだったら,何が文(statement)かを定めるものが統語論(syntax)になる.Cでプログラムを書く時にどこにセミコロンをつけるべきか,どこにかっこをつけるべきかとかを示すのが統語論となる.

ビデオゲームの場合,ディスプレイ上にかかれてある画像*1が,どこまでが一つのまとまりで,またそのまとまりが何を表すかを示すものとなる.ゲームにおけるディスプレイ上に表示される2次元データのtokenizerが統語論だということだろう.

統語論では,ディスプレイ上の要素の意味までは深く読まない*2.どのように表示されるかの問題を取り扱うことになる.

意味論

意味論とは何か.プログラミングだったら,ASTから機械語にプログラムを変換する過程が意味論になるだろう.ある変数や関数がどこにあるか,ある構造体のメンバは何か,関数の型が適切かとかを判断するのが意味論になると思う.

ビデオゲームにおける意味論とはなにか.統語論によって区切られたディスプレイ上の画像が,何を意味するのかを考えることが意味論になるだろう.例えば,ポケットモンスターで戦闘中に表示される緑のバーが何を意味するのか,PPは今いくつか,レジスチルはどうして封印されたのか,などが挙げられるだろう.

2種類の意味論

ビデオゲームにおいて,画面に表される記号から読み取れる意味には2つのドメイン——虚構世界とゲームメカニクス——があるという.それぞれどういうものか見てみよう.

虚構世界

虚構世界とは,あるフィクションにおける世界のことである.スーパーマリオブラザーズならばキノコ王国が存在し,ピーチが存在し,マリオが存在する世界のことになる.ポケモンなら,カントー地方が存在し,ポケモンジムがあり,チャンピオンが存在する世界である.

ビデオゲームにおいては,虚構世界において物語があることもある.ピーチ姫がクッパにさらわれた,等々.

ゲームメカニクス

ゲームメカニクスとは,ゲームのルールなどのように,現実においてプレイヤーの行為を形作る制度のことである.

将棋でいえば,駒の種類,それぞれの移動できる場所,手番の定義,勝利条件といったルールや,現在の盤面を記憶したものがゲームメカニクスになる.

ビデオゲームにおいても,ゲームとほぼ同じようにゲームメカニクスが存在する.しかしビデオゲームでは目標がない場合がある点,ゲームの状態やルールがPCなどのハードウェアによって管理される点が特徴的といえる.

感想

ハーフリアルから進んでよりかちっとビデオゲームの構成要素を記述しているなという感じがする.

ただこの本はビデオゲームを美的に探求するための道具を提示しているだけなので,作る時にどう生かすかは自分で考えないといけない.

いくつかトピックを考えてみた.

虚構世界とゲームメカニクスの結びつきをうまくとるためにどうするか

ゲームメカニクスは虚構世界にある語彙で説明されることが多い.例えばポケモンの戦闘は,毎ターン「わざ」を選択し,自分の「ポケモン」と相手の「ポケモン」の「タイプ」と「わざ」の「タイプ」に応じてHPを減らしていき,先に相手の「ポケモン」のHPを0にした方の勝ちとなるゲームだが,このゲームの説明にはフィクションとしてのポケモンの世界の語彙が使われることになる.したがって,虚構世界はゲームメカニクスと対応が取れる必要がある.

また,虚構世界はゲームメカニクスによってシミュレーションされることになる.例えば,ポケモンにおける戦闘で自分のポケモンが技を回避したかどうかは,アニメのポケモンのように「よけろ!ピカチュウ!」という命令を与えるのではなく,相手のわざの命中率とこちらのポケモンの回避率にしたがってシミュレーションされることになる.したがってゲームメカニクスによってシミュレーションされる虚構世界があまりにもおかしいものだと,うまい虚構世界のシミュレーションとは言えなくなる.(ゆうしゃが人の家にはいってタンスのたなを荒らしても何も言われないのは,ドラクエの世界ではそれが許されるからなのか?とか.ポケモンの世界の賞金は相手の手持ちの半額を奪ってるのか?とか)

これはゲームメカニクスが現実に近いことが良いというわけではなく,遊んでいて面白く,かつゲームの虚構世界のリアルとの対応がとれているゲームメカニクスが良いということになる.虚構世界については,ゲームメカニクスから想像を膨らませやすい虚構世界が良いということになる.Splatoonでキャラクターがイカだから,インクの中を泳いでもおかしく感じないし,イカと人の姿を切り替えて戦うことに虚構的な現実味が出るのだと思う.それゆえにゲームメカニクスと虚構世界は切っても切り離せない関係にある.

じゃあ開発をするときにどうすれば良いのか,基本的には,虚構世界かゲームメカニクスどちらかが先行して作られ,それに合わせて他方を調整するサイクルを繰り返すことになる.

ゲームメカニクス側から虚構世界に影響を与えた例といえば,もともと通せんぼをするキャラクターとして開発されたカビゴンなどが挙げられる. 虚構世界がゲームメカニクスに影響を与える例としては,スマブラで各キャラが持つワザやパラメータの方向性が,もともと登場していたゲームで使っていた技やそのゲーム内における印象によって決められることなどが挙げられる.

ゲームメカニクスと虚構世界どちらからゲームを作る方が良いか,どちらを優先するべきか,には正解がないと思う.しかしビデオゲームビデオゲームという一つのものとしてとらえるのではなく,虚構世界とゲームメカニクスという風に分解して捉え,あるキャラクターやプログラムがその2つの意味論にどのように影響しているのか考えながら制作することは意味があると思う.

ゲームの統語論——画面と音声の構成——をどうするか

意味論と切り離された統語論としての画面(および音声)は,プレイヤーに情報を与えるという意味では最重要なものだと思う.なぜなら,統語論は意味論へのインターフェースとなるし,ワンダールクスでいう情報と反応のレイヤを担うものでもあるからだ.*3

もちろん,プレイヤーが実際に遊ぶ(ゲーム行為をする)のはゲームメカニクスなので,統語論は遊ぶ対象ではない.しかしビデオゲームは機械によってゲームメカニクスが管理されるので,ゲームメカニクスがインターフェース——画面と音声,つまり統語論——を通じてしか知ることができず,ゲームメカニクスブラックボックスになってしまう.勿論そのビデオゲームをやり込んだゲーマーなら統語論なしでも遊べなくはないのだが,誰しも初めはそのゲームの初心者であるので,ゲームメカニクスを知るために統語論は重要となる.

統語論がゲームメカニクスとプレイヤーとのインターフェースになるということは,ワンダールクスでいう情報と反応のレイヤにおいてもっとも重要であるということになる*4 .これはプレイヤーにゲームメカニクスを伝えるという意味で,後続のレイヤの面白さを損なわせないために重要となる.

統語論がしっかりとしていないとフラストレーションが溜まることになる.ビデオゲームではないが,カードゲームで例を挙げたい.デュエルマスターズで遊ぶときに,実際のカードで遊ぶのと,ホワイトカードに文字を書いて遊ぶのではどちらが楽しいか.ゲームメカニクスという点ではどちらも変わらない.しかしホワイトカードの方は情報を拾うのが難しく,遊びにくくなる.というのも,TCGで遊ぶときは大抵キャラの絵でカードの種類を判断するのだが,テキストだけだとそれができず盤面を把握するのに時間がかかるのだ.また色が分かりにくいとマナとしてのカードの色が分からなかったり,とにかく面倒になる.

統語論によってプレイヤーに伝わる情報は変化する.それによってゲームのメカニクスも変わりうるだろう.マリオカートで対戦中に相手の画面が見えているか,見えていないかは統語論的な変化だろうが,それによって相手のアイテムが見えるかどうかが変化する.これによって相手がパタパタこうらを持っているから先頭から降りる,サンダーを相手がアイテムを取った瞬間に使うなどといった戦略が生まれ,自分の戦略に変化が生じる.

ゲームメカニクスをゲーム行為のデザインととらえる場合,プレイヤーに伝わる情報の変化によってプレイヤーの信念が変化することになり,統語論がゲームメカニクスに影響を及ぼすことになる.

上述の理由によってゲーム制作において統語論のデザインが重要になるだろう.

終わりに

ビデオゲームの美学」はビデオゲームについて語るための語彙が増えるので良い本だった.今回は1つの統語論と2つの意味論に焦点を当てたけど,本ではそれらのドメインの繋がり方を空間的および時間的に解説していたりもするので,そのへんも面白い.

あとあとがきによるとこの本は「ハーフ・リアル」と「芸術の言語」の組み合わせになっているらしく,自分は「ハーフ・リアル」しか読んだことがないが,「ハーフ・リアル」とは確かに内容が関連していた.だから先に「ハーフ・リアル」を読むと,特にゲームについて分析したい人には良いと思う*5

*1:もちろん,ディスプレイ上以外の要素——bgm,se,振動など——も統語論における要素ではあるが,メインの要素はディスプレイになる

*2:そういう意味でもtokenizerと同じである.つまり画面の構成要素としてこれがどういうトークンとして認識されるかだけを考えることになる.

*3:なお,リンク先の文章は01号の同人誌に載っていたバージョンで,02号版の理論では少し理論に変更が加えられている.具体的には,各レイヤの定義をフレーム時間によるものから変更し,プレイヤーが画像や音声として与えられた情報を何と結びつけるかが重要であるとしている.

*4:もちろん全ての情報がインターフェースを通って伝わるのだが,一番インターフェースが重要なのが情報と反応のレイヤだろうということ

*5:ゲームを一つの芸術の一形態として見たり,ゲーム以外の芸術との関連性を見たい場合は「芸術の言語」を読むのがいいのかもしれない.自分は読んでないのでわからないけど.